取材前に廣部さんのホームページを拝見すると、「音楽のように地球の声を建築に刷り込む」「建築は凍える音楽である」「音楽に喩えながら」ところどころに音楽のキーワード。建築家でありながら、音楽家?!芸術的な方なんだろうなと想像しながら、お会いするのが楽しみに。
建築家を目指したきっかけ
高校生の頃はプロのギタリストを夢見て夢中で練習していました。そんな時、当時習っていたギターの先生から音楽の世界の厳しさを教えられました。最初にレコーディングに呼ばれるような、プロのギタリストは、日本で10人もいれば十分ですよと。とても悩みましたが、高校2年生の頭にはプロになることを諦めました。当面の目標は無くなってしまいましたが、進路を選ばなければならず、理系を選択。文系科目も得意だったこともあり、文系の要素を含んでいると感じた建築を消去法的に選びました。
なんとなく進学したため、大学1年ではあまり建築に興味が持てずに、正直設計の授業は好きでは無かったです。
そんな廣部さんが建築に面白さを感じ始めたのは、課題の内容に自分でデザインする要素が増えたころでした。建築を考えることは音楽のように曲を作って、リハーサルをして、ライブをする感覚に近いものがあると急に興味が湧きました。そこから、2週間に1回は図書館で建築の作品集を3冊ほど借りて、好きなところだけコピーしていくうちに、段々と面白くなってきました。
卒業後、芦原建築設計研究所に7年勤め、最後は国立科学博物館の新館を担当しました。実際に世界の建物を訪れたいと気持ちが徐々に高まり、8ヶ月の放浪の旅へ出る。旅の間は毎日、修行のように建物のデッサンをしていました。写真も撮りましたが、どんなにラフなデッサンでも、ある程度時間が掛かります。その間は集中して建築を見るので、プロポーションや素材感などのディテールが頭に刷り込まれていきます。この時に書いたデッサンは著書「世界の美しい住宅」(エクスナレッジ)にも収録されています。
建築へのこだわり
廣部さんのお客様は雑誌やインターネット見て、拘りを持って訪ねてくることが多いそう。お施主様と一緒に良いものを楽しんでつくることを心がけています。建築のスタイルは特に決まったものがあるわけではなく、毎回の依頼に対して1から考えます。最初から以前と同じパターンを利用することは基本的にしません。お客様が求めていらっしゃることや予算、敷地など条件はそれぞれ違うため、その土地・その家族のための回答は1つしかないと思っています。そのため、設計期間は余裕を持って考えていただいています。最初のプランは様々な可能性の中から時間を掛けて探し出していきます。プランを考える際にCAD、CGなどのソフトも当然使いますが、手を動かしてスケッチから検討することも多いです。
伊豆高原の別荘(Phase Dance)では存在感のあった樹木を残しながら、その樹木と共に住まう感覚に辿り着くまで、かなり長い検討を要しました。
下記は実際の作品動画が見られます。なんと、BGMの演奏は廣部さんです!
作品画像:https://youtu.be/XnBEejjYlkM
大学講師としての顔
現在は週に1度、大学の講師をしています。講師をやることになったきっかけは、30代の半ばに大学時代の教授から「自分がしてもらったことを返しなさい」と1本の電話があり、一晩考えてから引き受けました。授業は先輩建築家の先生方とチームで指導していきます。折に触れて諸先輩方から伺ったお話は今でも自身の財産になっていて、その時受けて良かったと心から思っています。
最初のスタジオ授業の時、学生たちがこちらを真剣な眼差しで見ていて、これは真剣勝負だと思いました。人に教えるためには、自身が学び、理解し続けていくことが必要です。設計の指導は一人一人の案に寄り添いながら考え続けるので、終わって事務所に帰るとぐったりしていることに気付きます。千本ノックみたいなものですね。基本的に建築の楽しさを伝えていきたいといつも思っています。その思いに共感してくれるからでしょうか、授業の受け持ちが終わったあとに手伝いにきてくれる学生さんもいます。
編集後記
ギタリストの夢から、当初はあまり興味が無かった建築設計の道へと転身。設計はもちろん、音楽や講師活動にも真摯に向き合っていらっしゃるなと感じました。建築家であり、音楽家と才能豊かで華やかですが、その裏では多くのデッサンの山。だからこそ、お客様1人1人に合った理想の家が実現しているのだと思います。後日、送っていただいたYoutube映像で、 ギターを弾いていらっしゃる姿も、とても素敵でした。下記からご覧いただけます。
廣部さん、ありがとうございました。(廣瀬)
ライブ映像:https://youtu.be/FgFn4QSWDC4