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教授と建築家の二刀流 建築家 宮崎均さん

建築家を目指したきっかけ
 幼い頃はエジソンの伝記を読み発明やものづくりが好きでした。中学では型に興味を持ち、車のデザイナーになること夢でした。大学は日本大学理工学部の建築学科を卒業し、その後大学院を経て、27歳から公立大学前橋工科大学にて教壇に立つことになりました。30歳で設計事務所を設立し、そこから教員と建築家の二刀流が始まりました。
 学生時代、教員時代、そして今に至る迄、歳を重ねるごとに物事の背後にある目に見えないものが大切だと思い、デザインは常に人間と空間と時間による関係性がとても重要だと感じ追求してきました。教員は3年前に退職しました。設計のご依頼は紹介であったり、雑誌掲載を見て依頼して下さる方も多くいらっしゃいます。

設計の拘り
 建築は、人間が中心なので使用する建材も全て自然素材にて設計していました。講演時にもお話させて頂いておりますが、経年変化に伴い自然素材は風合いが増し、既製品は劣化が進む。また特に内装は皮膚に触れるものなので、是非自然素材をお選びいただきたいと。昨今は、建材の高騰や予算の問題もあり、全て自然素材にというもの難しくなってきましたね。
 これまでの施工事例では、RCと木造の混構造や8坪の狭小住宅、住宅、別荘、学校など。建物探訪の出演やGood Design賞の受賞作品等、数多くあります。
 住宅の設計依頼には必ず、ご家族の構成に変化が訪れる際のことも考慮して頂くようにしています。成城にある戸建ては100坪以上の延床面積ですが、現在はお一人でお住まいになっています。設計当時、空間転用が出来るように構造設計をしていたため、現在は賃貸住宅として兼用されています。

仕事のやりがい
 教育でのやりがいは、「人が育つ」ということ。教員最初の10年は必死でしたが、次の10年からは人が育つということの素晴らしさを感じました。例えば、大学院まで6年間の伸び方は凄まじく、教員の専門外の知識を超えてくる学生もいます。卒業後に業界で活躍している彼らを見ると、教員とは本当にやりがいのある職業だと思います。
 建築家としてのやりがいは、設計によって生活する器が変わることにより、生活する様式が少しずつ変化することです。ある程度のショックがあることによって、親子の会話の変化、兄弟関係の変化があるような空間づくりをし、ライフスタイルがちょっとずつ変化していき、結果「こうして良かった」と言ってもらえることで、とてもやりがいを感じます。また、一つの建築ができることによって地域が変化し、まちが変わっていく。さらに住民の生活様式が変化していくことがやりがいだと感じています。

編集後記
 宮崎さんのご専門は、地域環境やまちづくりの研究です。現在、30年後を展望した浦和駅周辺のまちづくり活動がある中で、元々宿場町だったことを活かして、アリの巣のような横丁をイメージしたまちづくりを提案したいとお話くださいました。また、建築家のステイタスについて、社会に責任があるという建築の設計、また文化に対して影響を与える力があるというお話も伺いました。
 常に社会や建築を広義の視点で問題提起とそれに対する解決策を見出すお姿に日本の明るい未来を感じました。
 宮崎さん、ありがとうございました。(廣瀬)

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