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40年という経験から多くのアイデアで要望に応える建築家 北野彰作さん

建築家を目指したきっかけ
 建築士法が制定された昭和25年に県下で初めて取得した一級建築士であった父の影響と住んでいた家の敷地内に建設会社の作業場が有り大工さん、左官屋さん、塗装屋さん達が作業されている姿を小さい頃から眺めていて自然と建築に興味が湧いて建築学科に進み学生時代に村野藤吾氏設計の世界平和記念聖堂を見てその建設過程に到る波乱に富んだ数々のエピソードを後ほど知って建築設計で身を立てたいと思うようになりました。

住宅設計の拘りや心がけていること
 高校を卒業するまで住んでいた住宅は父が設計していて建て増しを繰り返し迷路のようになっていった不思議な空間でその生成過程を工事も含めて子供心につぶさに眺めていた記憶が未だに色濃く残っていて、その実体験から住空間が人に与える影響力の大きさを心に留めその責任の大きさを自覚しながら施主と向き合うようにしています。個々のお客様がどのようなお住まいを望んでおられるかを引き出しそれが反映した設計をするようにと心掛けています。

お客様との関係性
 ご契約するときの関係性と同様、施主とはフラットな関係性であることを心に留め置き初めての家づくりである事が大半の施主に対しては可能な限り図面を通して詳しくご説明し時として分り易い三次元モデルも駆使する等して出来るだけ設計にご参加頂けるような設計の進め方を心掛けるようにしております。

お仕事のやりがい
 或る意味お客様参加型の設計手法ですので長い時間を要しますが、お客様との設計打ち合わせを繰り返す際、時にショールームで実物を見て頂いて仕上材料を選択したり、時に衛生機器のショールームをご一緒したりして設計図を纏めてゆきます。工事が始まったら素材の品番や色調を最終決定していったりと一つ一つの選定にもご参加頂くようにしています。そして出来上がった世界で唯一の建築をお引渡しする時お客様のお慶び頂く笑顔を拝見するたび、此の仕事に就けて本当に良かったと毎回思います。

今まで設計された事例について
 大学院を卒業して入社した憧れの坂倉建築研究所での2年目で一人で担当した個人住宅の設計監理を通して住宅設計の面白さや奥の深さを初めて知り、それが独立する直接の動機となりました。独立して15年後辺りから念願だった個人住宅の設計だけに特化した専門の設計事務所として運営できるようになり、2005年に手掛けた「海南の家」から初めて大型の住宅設計の依頼を受けるようになり、「摂津の家」(2018年)では最大規模を記録した住宅となり(延べ146坪)、そして直近では坪単価の最高額を記録した「 吹上の家 」(2024年)に到るまで此の20年間で27棟の大型住宅の設計を依頼されるまでになりました。

今後の目標
 これまでの40年間、100棟以上の様々なタイプの個人住宅の設計監理を経験してきた実績の中にはかなりのローコスト住宅、ミニマム住宅、古民家再生、各種のリノベーション住宅、本格和風住宅、そしてエグゼクティブな豪邸と様々な形式の住宅を設計してきた多様な経験があり、その長年の実体験を活かし柔軟性の有る設計技術をご提供してより快適な「住まい」空間を今後も探求してゆく所存です。

編集後記
 様々なタイプの住宅を設計してきた経験から沢山の引き出しやアイデアをお持ちのため、お客様にとってもとても頼りになる存在なのだと感じました。また、小さい頃からお父様を含め素敵な諸先輩方の背中を見てきたからこそ40年という長い間一線でご活躍されているんだと感じますね。北野さん、ありがとうございました。(長養)

  1. 居と間 三重県

  2. Z 邸 岡山県

  3. O 邸 岡山県

  4. T 邸 岡山県

  5. K 京都府